藻塩焼きは日本独自の製塩法
9世紀から揚浜式と入浜式
それでは日本の塩づくりはどんな歴史をたどってきたのでしょうか。
日本では縄文時代の終わりから弥生時代にかけて、塩が利用されるようになったと考えられています。当時は、干した海藻を焼いて、塩の混ざった灰塩(はいじお)をそのまま使っていたようです。
6〜7世紀になると、灰塩に海水を加えて濃い塩水(かん水)をつくり、それを土器に入れて煮詰め、塩を得るようになりました。
それが藻塩焼きといわれる方法で、海藻としてはホンダワラが使われました。藻塩焼きは日本独自の方法です。
万葉集には「朝凪(なぎ)に 玉藻刈りつつ夕凪に 藻塩焼きつつ 海乙女」という一節があります。玉藻は、ホンダワラをはじめとした藻の美称です。
宮城県塩竈(しおがま)市にある塩竈神社では、ホンダワラに海水をかけて鉄釜で煮詰める塩づくりの儀式が現在も残っているそうです。
昨年3〜9月に放送されたNHKの朝ドラ「まれ」で、俳優の田中泯が砂浜に勢いよく海水をまいて塩をつくるシーンがありました。「揚(あげ)浜(はま)式」といわれる塩づくりの方法で、海面の干満の水位差を利用した「入(いり)浜(はま)式」とともに、9世紀頃に誕生しました。
17世紀には播磨国の赤穂で入浜式の製塩が始まり、瀬戸内沿岸に広がって、国内の製塩の中心地になりました。
効率的な流下式塩田を経て
イオン交換膜式に全面転換
国が財政をまかなうために、塩の生産や流通、販売までを管理下におく専売制が始まったのは明治38年(1905年)のことでした。
その頃、化学工業の発展や人口増加により、塩の需要が高まり、海外からの輸入が始まりました。あとで紹介するように、塩は食用だけでなく、工業用としてもさまざまな利用価値があるのです。
太平洋戦争が起きると、生産や輸入が減った塩は配給制になり、自家用の塩の製塩が認められました。
戦後、砂利などを敷いて傾斜させた流下盤に海水を循環させる効率的な「流下式」の塩づくりが登場します。すると、またたく間に流下式塩田が普及しました。
ところが、古代から綿々と続いてきた伝統的な塩田での塩づくりは、昭和46年(1971年)制定の塩業近代化措置法により、国内の塩田が全面的に廃止されました。
それまで日本で研究されてきた「イオン交換膜式」による製塩法が実用化されたためで、国内の製塩はイオン交換膜式のみに全面転換されたのでした。
一方で自然塩運動も活発に97年には
製造販売が自由化
イオン交換膜と電気エネルギーを利用してできたかん水を、立(たて)釜(がま)と呼ばれる真空式蒸発缶で煮詰める新しい製塩法では、塩化ナトリウムが99%以上と高純度の食塩(専売塩)ができます。
広い塩田がいらず、天候にも左右されず、少ない作業員で効率的に塩づくりができる画期的なイオン交換膜式に対し、伝統的な塩田の強制的な廃止や、あまりに高純度な食塩のみしか生産されなくなったことに疑問をもつ人や反対する人たちなどが、昔ながらの塩づくりをめざして活動を始めました。
いわゆる自然塩を存続、復活させようという取り組みは、各地で地道に続けられ、その中から現在の「海の精」なども生まれました。
その後、平成9年(1997年)に塩専売法が廃止されて専売制がなくなり、新しく成立した塩事業法の下で、国産塩の製造販売が自由化されました。さらに同14年(2002年)には輸入塩も自由化されて、塩の専売は完全になくなりました。
つまりだれでも自由に、製造法を問わず、塩をつくって販売できるようになったのです。
食料品店でいろんな塩を見かけるようになったのには、こんな背景があったのですね。【参考資料】
・「塩とニガリがよくわかる本」(玉井恵著、東京書籍)
・「おもしろサイエンス 塩と砂糖と食品保存の科学」(食品保存と生活研究会編著、日刊工業新聞社)
・「食塩と健康の科学」(伊藤敬一著、講 談社ブルーバックス)
・「知っトク情報 正しい塩の選び方」( ドクターソルト研究所著、日本食用塩研
究会発行)
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